日本歴史地名大系 「切目庄」の解説 切目庄きりめのしよう 和歌山県:日高郡印南町切目庄切目川流域に比定され、石清水(いわしみず)八幡宮領の荘園。はじめは切目薗と称された。延久四年(一〇七二)九月五日付太政官牒(石清水文書)に「本寺注文云、件御庄并切目薗共宮寺御領也、而停切目薗、偏免除薗財庄者、但四月十七日神功皇后御関()日也」とあり、切目薗は一時停廃されたことがわかる。「中右記」天仁二年(一一〇九)一〇月二〇日条に「日入間、宿切部庄下人小屋」とある。その後、建武五年(一三三八)三月一一日付足利尊氏御判御教書(熊野速玉大社古文書古記録)によれば富安(とみやす)庄(現御坊市)・高家(たいえ)(現日高町)・稲南(いなみ)村などとともに足利尊氏によって熊野新宮に兵粮料所として預け置かれたことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報