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兵粮料所 ひょうろうりょうしょ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

兵粮料所
ひょうろうりょうしょ

南北朝時代以来,室町幕府が兵粮米徴収を目的として,武士に給与した土地。元来は寺社公家荘園であって,武士の所領ではなく,兵粮米徴収の権利だけを与えられたものであったが,のちには領主と武家とがその土地を折半し,半分を寺社,公家に残して,半分を武家の領地として,半済給分 (はんぜいきゅうぶん) と呼ぶようになった (→半済 ) 。

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世界大百科事典 第2版の解説

ひょうろうりょうしょ【兵粮料所】

南北朝時代に幕府が軍勢発向諸国の本所領年貢を,1年を限って兵粮米にあてるよう指定した所領。年貢の半分をあてる場合が多いが,3分の1の場合もあった。南朝側の朝用分と対応した政策で,歴史的には,治承・寿永の内乱期の兵粮米を背景としたものである。1352年(正平7∥文和1)7月,幕府は近江,美濃,尾張3ヵ国の本所領年貢の半分を兵粮料所として配下の軍勢に預け置くよう守護に命じ,翌8月には伊勢,志摩,伊賀,和泉,河内の5ヵ国を加えて対象国を拡大していった。

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大辞林 第三版の解説

ひょうろうりょうしょ【兵粮料所】

中世、年貢の一部もしくは全部が、武家政権のもとに兵糧米として供出されることが定められた所領。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

兵粮料所
ひょうろうりょうしょ

平安末期から南北朝期にかけて、戦乱の際にとくに指定されて兵粮米徴収の対象となった荘園(しょうえん)、所領のこと。律令(りつりょう)制下で、東北地方経営の遠征軍のため、東北、関東、北陸、東海などの諸国が指定されて「軍粮(ぐんろう)」を供給したのは、その先例といえる。その給源は主として各国庫の正税(しょうぜい)であったが、その結果、一般農民への収奪を強めた。源平争乱に際し、1180年(治承4)12月、平氏が院宣(いんぜん)を請うて、その知行国(ちぎょうこく)たる能登(のと)、但馬(たじま)、紀伊、佐渡に新たに「兵乱米(へいらんまい)」を徴した例があり、鎌倉幕府も1185年(文治1)守護・地頭設置に際して兵粮米反別五升を課した。また承久(じょうきゅう)の乱、蒙古(もうこ)襲来合戦のときにも臨時に設置している。しかしもっとも一般化したのは、南北朝内乱が始まるとともに行われた兵粮料所で、以前のように朝廷からの承認を得ずに、各国守護が軍費調達、恩賞給与を口実として濫設した。そのため配下の武士、領主層の荘園、公領の侵略を促進させることになり、やがて室町幕府による半済(はんぜい)法公布の一契機となった。[島田次郎]
『宮川満著『荘園制の解体』(『岩波講座 日本歴史7 中世3』所収・1963・岩波書店) ▽小川信著『南北朝内乱』(『岩波講座 日本歴史6 中世2』所収・1975・岩波書店)』

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世界大百科事典内の兵粮料所の言及

【半済】より

…(2)南北朝~室町時代になると幕府の土地政策の一つとして制度化された半済が現れる。それは南北朝内乱期に,国衙領,本所領の年貢半分を軍勢の兵粮料所(ひようろうりようしよ)として武士に与えたことから発生した制度で,内乱終了後も継承され恒常化した。観応の擾乱(じようらん)の終わった1352年(正平7∥文和1)7月,幕府は内乱の激しく戦われた近江,美濃,尾張3ヵ国の本所領年貢の半分を兵粮料所として割分し,1年間を限って軍勢に預け置くよう守護に命じた。…

※「兵粮料所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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