切石町(読み)きりいしまち

日本歴史地名大系 「切石町」の解説

切石町
きりいしまち

[現在地名]檜山郡江差町字橋本町はしもとちよう

近世から明治三三年(一九〇〇)まで存続した町。津花つばな町の東、影之かげの町の北、海岸線から崖を一段上った場所に位置する。江戸後期から明治初期の桶屋おけや町を含むという(江差)。文化四年(一八〇七)の江差図(京都大学文学部蔵)では沢茂尻さわもしり町の北に町名が記される。「蝦夷日誌」(二編)によると、もとは妓を置く青楼があったが、弘化二年(一八四五)新地しんち町に移され、あとには小商人のみが居住。西側のくら町から上ってくる切石坂はもとは絶壁であったが、切開いて坂とし、板製の階段となっていた。


切石町
きりいしちよう

[現在地名]大垣市切石町

大垣城の南西に位置する士屋敷地域。東は新馬場しんばば町、北は切石村。もと切石村のうちで、寛永城下絵図の足軽町あしがるまち通付近に比定される。寛文七年(一六六七)に「切石侍町」の地割がほぼ完成したらしい(大垣藩城代日記書抜)。元禄路見帳には切石足軽町とみえ(大垣市史)、宝暦年間(一七五一―六四)頃には切石町となった(新修大垣市史)。享和四年(一八〇四)の藩士家並帳(林文書)には切石御足軽町・同二丁目・同三丁目とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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