切石村(読み)きりいしむら

日本歴史地名大系 「切石村」の解説

切石村
きりいしむら

[現在地名]大垣市切石町・北切石町きたきりいしちよう南切石町みなみきりいしちよう久瀬川町くぜがわちよう日の出町ひのでちよう神田町かんだちよう

水門すいもん川右岸の平坦地、大垣輪中の中央に位置する。北は西崎にしざき村、東は大垣城下に接する。西に枝郷久瀬川村(享保城下絵図では久世川町とみえる)がある(新撰美濃志)。当村と久瀬川村を美濃路が東西に走り、「字西久瀬川土橋」の先で左折して若森わかもり村に至る(美濃路見取絵図)。永仁三年(一二九五)六月日の大井庄実検馬上取帳案(早稲田大学付属図書館蔵)に「切石神」、年月日未詳の大井庄実検名寄帳(筒井寛聖氏所蔵文書)に「切石四郎入道」の名がみえる。江戸時代を通じて大垣藩領。慶長郷帳に切石村とみえ、村高三一石余とあるが、元和二年(一六一六)村高領知改帳では「きれ石村」とみえ、村高三〇一石余。正保郷帳では田高一七三石余・畑高九六石余(岩瀬文庫本正保郷帳では高二八一石余)


切石村
きりいしむら

[現在地名]中富町切石

鰍沢かじかざわ宿(現鰍沢町)から二里二四町、下山しもやま宿(現身延町)から一里二三町の位置にあり、西は夜子沢よごさわ村、南は八日市場ようかいちば村。「甲斐国志」は村名の由来について、古くは「石工ヲ置シ処カ」と記している。慶長古高帳では高六六石余、幕府領。寛文一一年(一六七一)検地帳(県立図書館蔵)によれば高八三石余、反別田五町四反余・畑一町四反余・屋敷六反余、屋敷数三六。家数・人数は宝暦二年(一七五二)六〇軒・二五四人、文化七年(一八一〇)六三軒・三一八人、嘉永二年(一八四九)六三軒・三二七人、文久元年(一八六一)六六軒(本百姓六二・寺二・山伏跡一・御林番人小屋一)・三六九人、馬八、明治六年(一八七三)七〇軒・三九五人(中富町誌)と推移している。


切石村
きりいしむら

[現在地名]二ッ井町切石

米代川に面した段丘の麓に発達した小村。東は仁鮒にぶな村、西は駒形こまがた村、南は小掛こがけ村、北は米代川を挟んでたね村・薄井うすい村に接する。

天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「百三拾弐石三合 竜毛村」とあるが、村の北部台地上に竜毛沢りゆうげさわという字名があり、古くは竜毛村と称したと思われる。竜毛沢には中世遺構として竜毛沢I・II・IIIの館跡があり、I遺跡から土師器須恵器・鉄滓が、II遺跡からは土師器・須恵器が出土している(二ッ井町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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