刈安野々宮遺跡(読み)かりやすののみやいせき

日本歴史地名大系 「刈安野々宮遺跡」の解説

刈安野々宮遺跡
かりやすののみやいせき

[現在地名]津幡町刈安

集落背後の通称野々宮の台地(標高三五―四五メートル)に所在する複合遺跡。昭和五八年(一九八三)倶利伽羅(くりから)バイパスの建設に伴って発掘調査を実施。検出遺構は古墳時代初頭の竪穴住居跡三一・掘立柱建物跡三・土坑四と平安時代の掘立柱建物跡一・中世(一五世紀代)掘立柱建物跡一・地下式土坑状遺構四・井戸跡一で、ほかに時期不明の土坑を検出している。出土遺物には縄文土器一括(中期―晩期)と打製石斧・磨製石斧・磨石・凹石・敲石・削器・玉未成品・砥石(以上縄文時代)、土師器・須恵器・管玉・磨製石鏃・砥石(以上古墳時代)、土師器・須恵器(以上平安時代)、陶質土器・土師質土器・天目茶碗・石製片口鉢・糸巻・曲物(以上中世)など多彩なものがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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