日本歴史地名大系 「前原新田」の解説 前原新田まいはらしんでん 千葉県:船橋市前原新田[現在地名]船橋市前原東(まいはらひがし)一―六丁目・前原西(まいはらにし)一―八丁目・七林町(ななばやしちよう)・滝台(たきだい)一丁目上飯山満(かみはざま)村の南東に位置する。延宝期(一六七三―八一)に荒野を開墾して成立した新田村。中央部に南西から北東に成田道、南端に東金御成(とうがねおなり)街道が通る。北部を前原川が流れる。前原の地名は飯山満からみて前面に広がる野の意という。地内道入(どうにゆう)庵蔵の延宝三年造立の地蔵尊銘文によれば、同元年幕府代官伊奈氏により本田新田の村境を定め、前原野二五四町歩のうち三〇町を久々田(くぐた)村・谷(やつ)村(現習志野市)と船橋五日市(ふなばしいつかいち)村の秣場とし、それ以外を新開地として天野四郎兵衛らが請負ったという。古く伝聖徳太子作の地蔵菩薩像(高さ五尺三寸)があったが退転したので、延宝三年に建立したと記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by