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前田治脩 まえだ はるなが

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

前田治脩 まえだ-はるなが

1745-1810 江戸時代中期-後期の大名。
延享2年1月4日生まれ。前田吉徳(よしのり)の10男。出家して闡真(せんしん)と称していたが,還俗(げんぞく)して兄重教(しげみち)の養子となり,明和8年加賀金沢藩主前田家11代。寛政4年藩校明倫堂,経武館を創立。文化7年1月7日死去。66歳。初名は利有(としあり)。通称は時次郎

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

前田治脩

没年:文化7.1.7(1810.2.10)
生年:延享2.1.4(1745.2.1)
江戸時代外様大名。加賀(金沢)藩第11代藩主。6代藩主前田吉徳の8男。母は側室寿清院(園田氏)。宝暦11(1761)年出家。兄の7代宗辰,8代重煕,9代重靖,10代重教と相次いで短期間で死去したため,越中の勝興寺で僧籍にあった治脩が明和5(1768)年還俗して同8(1771)年11代藩主となる。その治政は藩財政の逼迫や士庶の困窮,士風の退廃などに対して,藩士よりの借知と倹約,貧村成立方仕法,高請卸方仕法,高方仕法など相つぐ農政改革や風教の刷新のため,忠孝節義の表彰を行う一方,藩校明倫堂や経武館を建設し士気の高揚を図るなど藩政の建て直しに力を注いだ。

(和泉清司)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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