日本大百科全書(ニッポニカ)「鶴屋南北」の解説
鶴屋南北
つるやなんぼく
3世までは江戸歌舞伎(かぶき)の道外方(どうけかた)で、4世から歌舞伎作者となり、5世まである。ただし代数は「南北」の代数で、2世までは南北孫太郎を名のった。4世がもっとも名高い。
[古井戸秀夫]
初世
(?―1736)旅芝居の株をもつ家系で5世にあたる。大芝居に進出し、道外(どうけ)方、頭取として活躍。
[古井戸秀夫]
3世
(?―1762)鶴屋南北の初世。初世の子。享保(きょうほう)期(1716~36)に活躍した道外方。
[古井戸秀夫]
4世
(1755―1829)作者としては初世。家系7世。「大(おお)南北」と称される。江戸・日本橋の紺屋(こうや)海老屋伊三郎の子。1776年(安永5)に狂言作者の見習いとなり、翌年から初世桜田治助(じすけ)の苗字(みょうじ)をもらい桜田兵蔵の名で番付に載る。その後、沢兵蔵、勝俵蔵(ひょうぞう)と改名、3世の娘お吉をめとり、その縁で旅芝居や見せ物の興行にも加わる。金井三笑(さんしょう)に師事し、86年(天明6)以降狂言作者に専心、道外方大谷徳次を使った「おかしみの狂言」を書き、認められる。97年(寛政9)に3世坂東(ばんどう)彦三郎付きの作者となり、99年に45歳で立(たて)作者となる。それまでの大芝居には少ない見せ物の蛇娘(へびむすめ)や棺桶(かんおけ)を舞台のうえに好んで使い、『誧競艶仲町(いきじくらべはでななかちょう)』など生世話(きぜわ)物に好評を得たのち、1804年(文化1)に初世尾上(おのえ)松助のために夏芝居『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』を書き、これが出世作となる。以降、松助のために夏狂言を書き、怪談物の作者として名をなす。また、1806年から5世松本幸四郎一座の立作者となり6年間市村座に重年、『勝相撲浮名花触(かちずもううきなのはなぶれ)』などで生世話物を完成させた。11年、57歳で4世を襲名、隠居格となり、実子直江重兵衛を相談相手に新境地を開き、『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』『杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)』など5世岩井半四郎の当り狂言を書く。文政(ぶんせい)期(1818~30)には7世市川団十郎や3世尾上菊五郎ら若手のためにも筆をとり、2世勝俵蔵(直江重兵衛)、2世松井幸三、勝井源八ら門下の立作者とともに江戸三座の新狂言の大半を一門で担った。29年(文政12)『金幣猿島郡(きんのざいさるしまだいり)』を一世一代として引退、同年11月27日に75歳で没した。
台本が伝わるものは80余種あり、以上のほか代表的なものに、生世話物の『心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと)』『当穐八幡祭(できあきやわたまつり)』『謎帯一寸徳兵衛(なぞのおびちょっととくべえ)』『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』、敵討(かたきうち)物の『鳴響御未刻太鼓(なりひびくおやつのたいこ)』『絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)』、夏芝居の『三国妖婦伝(さんごくようふでん)』『彩入御伽艸(いろえいりおとぎぞうし)』『阿国御前化粧鏡(おくにごぜんけしょうのすがたみ)』『玉藻前御園公服(たまものまえくもいのはれぎぬ)』『法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)』『独道中五十三駅(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』のほか、『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)』『浮世柄比翼稲妻(うきよがらひよくのいなずま)』『御国入曽我中村(おくにいりそがなかむら)』があり、それらの要素を総合した代表作が『東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)』である。
その作風は、化政(かせい)期(1804~30)の退廃した世相を反映した凄惨(せいさん)な殺しと濡(ぬ)れ場を魅力とするが、本領はおかしみの茶番にある。俳諧(はいかい)式の自由な連想で婚礼と葬礼を一体化するなどの奇想で、場面を次から次へと展開させて観客の裏をいく小気味のよさが売り物。それが金井三笑譲りの緻密(ちみつ)な仕組みと十分な伏線、小道具の巧みな利用などによって筋立ての破綻(はたん)を免れている。南北風とよばれるこの特色は、やがて河竹黙阿弥(もくあみ)によって洗練され古典化する。なお、新作ではないが「馬盥(ばだらい)の光秀(みつひで)」(『時桔梗出世請状(ときもききょうしゅっせのうけじょう)』)、「加賀見山(かがみやま)」(『隅田川花御所染(すみだがわはなのごしょぞめ)』)などの定本を定着させたことも意義が大きい。姥尉輔(うばじょうすけ)の名などで合巻(ごうかん)の作もある。
家系8世は2世勝俵蔵が継ぐ。
[古井戸秀夫]
5世
(1796―1852)4世の娘の子。子役から作者になる。1821年(文政4)初出勤。鶴峰千助、鶴峰丑左衛門、鶴屋孫太郎、姥尉輔を名のり、37年(天保8)に5世。3世尾上菊五郎付きの作者として4世の旧作の補綴(ほてい)をもっぱらとした。門弟から3世瀬川如皐(じょこう)、河竹黙阿弥らが出た。
[古井戸秀夫]
『郡司正勝他編『鶴屋南北全集』全12巻(1971~74・三一書房)』