出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
江戸中期の儒者。越後の人。名は猷,字は孝秩,通称忠蔵,北海は号。18歳の時京都に出て,宇野明霞(1698-1745)について学んだ。明霞は荻生徂徠の儒学説を上方で最初に講じた儒者である。1745年(延享2)明霞の没したのを機に大坂に下り,以後終生大坂に住して,儒学と詩文の教授を業とした。刊行された著述はないが,混沌社(こんとんしや)を主宰したことで聞こえる。これは64年(明和1)に結成された詩社で,同人が集まって漢詩文を作り,批評し合った。当時,詩文を重視した徂徠学の影響のもとに,詩文が儒学から分離して知識人の文芸として流行しはじめ,各地に詩社が出現するが,混沌社はそのもっとも早いものの一つで,大坂の地に多くの詩人を育てた。
執筆者:日野 竜夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報