日本歴史地名大系 「剣城跡」の解説 剣城跡けんじようあと 群馬県:北群馬郡吉岡村下野田村剣城跡[現在地名]吉岡村下野田、渋川市半田・中村・八木原現下野田(しものだ)と渋川市半田(はんだ)・中村(なかむら)・八木原(やぎはら)の各地区にまたがる城跡であるが、故跡残礎をみることはできない。剣城は三角(みつかど)城ともいわれ比企藤五郎の居城と伝えられる。藤五郎は比企藤四郎能員の一族と思われ、建仁三年(一二〇三)比企能員が北条氏に滅ぼされたときに当城も落城したのではないかと推定されている。下野田の字見城(けんじよう)が城域の中心となった所と思われ、かつては大きな欅が三本そびえ立ち、またたくさんの木々が茂っている中に祠が祀られて、人々は剣城の森と称していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by