日本歴史地名大系 「吉岡村」の解説
吉岡村
よしおかむら
近世から明治三九年(一九〇六)まで存続した村。近世は東在の一村で、吉岡川の流域に位置し、北方は
シャクシャインの戦に関連して「津軽一統志」に「おん内 小船 澗有 家五十軒程」とみえる。また「れいひけ村より半里 をんない村迄 家数三、四十軒」「をんない村より半里 しらふ村迄」とも記される。天和元年(一六八一)頃の松前国蝦夷図(市立函館図書館蔵)には吉岡とみえるので、この頃改名したと考えられ、元禄郷帳でも「よし岡村」とある。享保十二年所附には南の
吉岡村
よしおかむら
- 静岡県:掛川市
- 吉岡村
南流する
吉岡村
よしおかむら
- 神奈川県:綾瀬市
- 吉岡村
天文二四年(一五五五)一二月三日の岡本八郎左衛門宛の北条家朱印状写(県史三)に「岡本太郎左衛門子孫無之ニ付而、手代之儀申付候、然ハ東郡吉岡郷乙卯歳検地五拾九貫八百文定納之内弐拾貫四百文扶持給ニ出候、残卅七貫四百文之処、速相納、可致御蔵収候」とある。なお小田原衆所領役帳には岡本八郎左衛門(秀長)「五拾九貫八百文
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
- 群馬県:北群馬郡
- 吉岡村
北群馬郡の南部東側に位置し村域は東西にやや長く、
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
- 千葉県:四街道市
- 吉岡村
現市域南端、
吉岡村
よしおかむら
- 香川県:観音寺市
- 吉岡村
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
北は
正保年間(一六四四―四八)の開村という(西津軽郡史)。天和三年(一六八三)の広須御新田所図に「吉岡」とある。村名改称并新村創立調(八木橋文庫蔵)によれば、享保一一年(一七二六)これまでの
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
きちおかむら
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
吉岡村
よしおかむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報