日本歴史地名大系 「剣崎村」の解説 剣崎村けんざきむら 群馬県:高崎市剣崎村[現在地名]高崎市剣崎町郷帳類には釼崎村とある。北は下大島(しもおおしま)村と金井淵(かないぶち)村、西および南は八幡(やわた)村。古くは八幡村とその南の藤塚(ふじづか)村とともに板鼻(いたはな)村(現安中市)に属したが、元和年間(一六一五―二四)分村したという(郡村誌)。寛文郷帳では田方五五九石余・畑方四七七石余。四五七石余が旗本柴田三左衛門領、五八〇石が小幡藩領。江戸後期の御改革組合村高帳では小幡藩領六〇九石余・家数三五、旗本曾根領四一八石余・家数二八、同堀領六六石余・家数五。板鼻堰から引水し、水懸田反別は一九町八反余(天明三年「堰懸田反別帳」矢口文書)。明治一〇年(一八七七)頃の家数八七、社六(稲荷二・大神・御嶽大神・八坂・鳴熊)、天台宗宝積(ほうしやく)寺があり、人数四〇〇、牡馬二三、荷車二。 剣崎村けんざきむら 石川県:松任市剣崎村[現在地名]松任市剣崎町平松(ひらまつ)村の南に位置。慶長一二年(一六〇七)六月の中村用水普請人夫ニ付達書(松任町史)に「けん崎村」とみえる。正保郷帳では平松村と連記されている。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高一千七〇石、免五ツ七歩、小物成は油役一六匁、ただし退転とある(三箇国高物成帳)。寛文年間の家高数一八・百姓数三二(高免付給人帳)。用水は中村(なかむら)用水・山島(やまじま)用水を利用。年未詳の高物成帳(林中のうつりかわり)によると高は同前、引免一歩、散小物成として売薬役銭七〇〇文・油小売役銭三〇〇文がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by