藤塚(読み)ふじつか

日本歴史地名大系 「藤塚」の解説

藤塚
ふじつか

美川町市街地付近に比定され、藤墳とも記す。当地は江戸期の本吉もとよし町にあたると考えられるが、南北朝期よりその古名元吉が知られ、中世には藤塚と混用されていたらしい。現在、美川町みなみ町に所在する藤塚神社が名残をとどめる。「遊行上人縁起絵」によると、正応四年(一二九一)他阿真教が「藤塚」に逗留している。また「源平盛衰記」巻二八(北国所々合戦事)には、寿永二年(一一八三)五月二日篠原しのはら(現加賀市)の合戦に敗れた源氏方富樫家経らの退却路の通過地点として、同書巻二九(礪並山合戦事)には、同月二五日礪波となみ山の合戦に敗れた平維盛配下の兵が落ちていった地点の一つとして当地がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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