割沢鉄山跡(読み)わりざわてつざんあと

日本歴史地名大系 「割沢鉄山跡」の解説

割沢鉄山跡
わりざわてつざんあと

[現在地名]普代村 萩牛

文化一三年(一八一六)藩御手山、岩泉いわいずみ(現岩泉町)中村半兵衛下支配人名義で操業が始められ、文政一二年(一八二九)まで一三年間経営された。割沢鉄山仕様書(早野文書)によると、山内の諸設備は日払所四間に一五間半、御役所二間に四間半、鑪一二間に九間、土蔵二間に三間半など一七棟の建物があり、一ヵ年平均一一万貫を超す鉄の生産が続けられた。製品の多くは盛岡藩領外に移出されており、とくに平潟ひらかた(現茨城県北茨城郡平潟町)請戸うけど(現福島県相馬郡浪江町)送りが大半を占めた。文政一一年の惣目録覚帳(早野文書)によると、総収入が金一千二六六両余と銭一万三千九二六貫余、総支出が金一千四八両・銭一万一千七九六貫余とあり、差引五七三両三分余の収益がみられ、安定した経営であったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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