萩牛村(読み)はぎゆうむら

日本歴史地名大系 「萩牛村」の解説

萩牛村
はぎゆうむら

[現在地名]普代村 萩牛

東・北・西の三方を普代村に囲まれる。山村で、芦渡あしわたり溝とよばれる普代川の小支流が北寄りを西から東に流れている。元禄十郡郷帳では当村は普代村に入るとある。天保八年(一八三七)の惣高書上帳(郷土史叢)では蔵入高一五石余のみ。享和三年(一八〇三)の仮名付帳によれば家数一〇、うち本村七で、枝村は芦生あしおい三。田野畑花崗岩層に属し、江戸時代中期以降村内各地で鉄山開発が盛んに行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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