加藤普佐次郎(読み)カトウ フサジロウ

20世紀日本人名事典 「加藤普佐次郎」の解説

加藤 普佐次郎
カトウ フサジロウ

大正・昭和期の精神科医学者



生年
明治20(1887)年11月11日

没年
昭和43(1968)年9月15日

出生地
愛知県愛知郡

旧姓(旧名)
出原

別名
号=白天

学歴〔年〕
千葉医専〔大正1年〕卒

学位〔年〕
医学博士

経歴
九州帝国大学医学部法医学教室助手から大正8年東京府立松沢病院医員となり作業療法に従事。その後戸山脳病院院長を経て昭和3年開業。6年新渡戸稲造、賀川豊彦らと産業組合法による中野組合病院を設立した。精神病患者の立場に立った論文が多く「精神病者ニ対スル作業治療並ビニ開放治療ノ精神病院ニ於ケル之ガ実施ノ意義及ビ方法」は古典とされる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤普佐次郎」の解説

加藤普佐次郎 かとう-ふさじろう

1887-1968 大正-昭和時代の精神科医。
明治20年11月11日生まれ。東京府立松沢病院医員,戸山脳病院長をへて昭和3年開業。6年賀川豊彦らとともに産業組合法による中野組合病院を創設した。精神病患者の作業・開放治療をすすめた。昭和43年9月15日死去。80歳。愛知県出身。千葉医専卒。旧姓は出原。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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