助川海防城跡(読み)すけがわかいぼうじようあと

日本歴史地名大系 「助川海防城跡」の解説

助川海防城跡
すけがわかいぼうじようあと

[現在地名]日立市助川町五丁目 大平

多賀山地丘陵東端の大平おおひら山にある。徳川斉昭が異国船の襲来に備え、水戸藩沿岸海防策の拠点として天保七年(一八三六)から五ヵ年をかけて構築した城堡

「水戸藩史料」別記下に海防惣司に任じた山野辺兵庫頭義観への辞令として「家督無相違壱万石被下置御家老被仰付所々に致散在候知行多賀郡に御引替被下置候条介川村へ屋敷相構致居住海防之方をも相心得可申旨被仰出もの也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む