日本歴史地名大系 「勘左衛門堰」の解説 勘左衛門堰かんざえもんせぎ 長野県:南安曇郡豊科町勘左衛門堰[現在地名]豊科町現松本市島立(しまだち)地先の小麦渕(こむぎぶち)から揚水し、同市島内の青島(しまうちのあおしま)・町(まち)・上平瀬(かみひらせ)を通り、梓(あずさ)川を横断し(現在は川底をサイホン)、現豊科町飯田(いいだ)・下鳥羽(しもとば)・本(ほん)村に掛かる。最初の勘左衛門堰は寛文二年(一六六二)成相組代官二木勘左衛門によって梓川から揚水され、飯田村・真々部(ままべ)村田中(たなか)・上鳥羽村(以上現豊科町)通りを掘り抜いたと伝えられている(鳥羽官一氏蔵文書)。梓川最下流に取入口をもつ用水堰で、上流諸堰で水を取り入れるため、水不足に悩まされた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by