日本歴史地名大系 「勝坂村」の解説 勝坂村かつさかむら 静岡県:周智郡春野町勝坂村[現在地名]春野町豊岡(とよおか)植田村の北、南流する気田(けた)川の上流、竜頭(りゆうとう)山と京丸(きようまる)山に挟まれた渓谷明神(みようじん)峡の南で、入地(いりち)沢の沢口を中心とした谷間に散在する。天正四年(一五七六)七月、徳川家康軍は武田方の天野宮内右衛門尉の拠る「勝坂」の城を攻撃、天野氏は城を明けて鹿鼻(ししがはな)へ退いたという(三河物語)。江戸初頭から幕府領。正保郷帳に村名がみえ、永三貫三四文、うち観音領三四文。梅雑木山ありと注記される。元禄郷帳では高四〇石余。小物成は売物二割出・駒役・黐役・鉄砲役・山手役など(年未詳「犬居領四一ヵ村小物成等書上」白川家文書)。「遠淡海地志」では家数二二。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報