日本歴史地名大系 「周智郡」の解説
周智郡
しゆうちぐん
静岡県西部のほぼ東寄り中央にある。東は
〔古代〕
「和名抄」名博本には郡名に「スチ」の訓を付し、「延喜式」神名帳には「周知郡」と記される。古代の郡域は現森町南部付近にあたり、天竜川東岸、太田川上流を中心に広がる。太田川流域には古墳が集中する。郡名としての初見は「続日本後紀」承和七年(八四〇)六月二四日条の「周智郡无位小国天神」を従五位下としたという記事である。郡家の所在地は不明。「和名抄」によれば郡内には
〔中世〕
中世前期の郡域は分明ではないので、中世後期および江戸時代初期の史資料から現在の袋井市東端、森町・春野町・水窪町辺りを想定して記述する。
文暦二年(一二三五)以前に小国社は遠江国一宮とされた。同社社僧であった森(現森町)の蓮華寺の僧禅勝房(正嘉二年没)は深く法然の教えに帰依した。その頃の同寺の檀那は鎌倉御家人と思われる中原氏である(年月日未詳「某書状」金沢文庫文書など)。建治元年(一二七五)郡南部の御家人として平宇太郎・東西谷五郎の名がみえる(「六条八幡造宮支配注文」国立歴史民俗博物館蔵)。前者は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報