日本歴史地名大系 「勝方村」の解説 勝方村かちがたむら 福島県:河沼郡会津坂下町勝方村[現在地名]会津坂下町勝大(かつおお)田沢(たざわ)川左岸にあり、北は大(おお)村、南東は出戸田沢(でとたざわ)村(現新鶴村)。山を西に越すと柳津(やないづ)村(現柳津町)に接する。村名は村内の感応(かんのう)明神(現多賀神社)が塔寺(とうでら)八幡と所領争いをし、争論に勝ったためという(稲河領牛沢組郷村万改帳)。「会津旧事雑考」所収天喜五年(一〇五七)六月三日の八幡宮神役目録に「勝方村矢鏑流馬一番」とある。貞和三年(一三四七)八月日の真壁政代薄国着到状(真壁文書)によれば、「奥州会津蜷河庄勝方村地頭摩訶部小太郎政本代薄彦五郎国本」が伊達郡藤田(ふじた)城(現国見町)・河股(かわまた)城(現川俣町)で北朝方に属して戦っている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by