勝楽寺村
しようらくじむら
三ヶ島村の南、狭山丘陵山口谷にある。南は多摩郡芋久保村(現東京都東大和市)・中藤村(現同武蔵村山市)、西は三木村(現同上)・石畑村(現東京都瑞穂町)。柳瀬川が北寄りの谷間から湧出る細流と合流して東へ流れる。古鎌倉街道といわれる道が通る。村名は新義真言宗仏蔵院勝楽寺(現真言宗豊山派仏蔵院)に由来し、正楽寺村とも書く。入間郡山口領に属した(風土記稿)。天正二〇年(一五九二)に検地が行われた際の領主は糟屋氏であったという(同書)。慶長一九年(一六一四)四月旗本小林権平(重宣)に「仁東郡山口之内正楽寺村」二五〇石が宛行われた(記録御用書本古文書)。以後幕末まで小林領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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