勝浦藩(読み)かつうらはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「勝浦藩」の意味・わかりやすい解説

勝浦藩
かつうらはん

上総(かずさ)国夷隅(いすみ)郡勝浦村(千葉県勝浦市)に陣屋を置いた譜代(ふだい)小藩。初代植村泰忠(やすただ)は1590年(天正18)に大多喜(おおたき)城主本多忠勝(ただかつ)に付属する形で夷隅郡内に3000石を領した。その後加増されて1682年(天和2)4代忠朝(ただとも)のとき1万1000石となり勝浦に陣屋を置いたが、1751年(宝暦1)一族間の斬殺(ざんさつ)事件隠蔽(いんぺい)により改易。次に大岡忠光(ただみつ)(将軍家重(いえしげ)の御側(おそば)御用取次)が1万石で入封、1754年若年寄に昇進して1万5000石となる。1756年さらに側用人に進み2万石に加増され本拠を武蔵(むさし)国岩槻(いわつき)(埼玉県さいたま市)に移し、勝浦は廃藩となる。

[川名 登]

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