日本歴史地名大系 「勝軍寺」の解説 勝軍寺しようぐんじ 埼玉県:岩槻市尾ヶ崎村勝軍寺[現在地名]岩槻市尾ヶ崎城南(じようなん)中学の北方にある。愛宕山求聞院と号し、真言宗智山派。本尊は虚空蔵菩薩。江戸時代には倉田(くらた)村(現桶川市)の明星(みようじよう)院末で、嘉永元年(一八四八)に同院に差出した起立書(金剛院文書)に開基不分明とある。中興とされるのは長円坊宥栄で、宥栄に宛てた寺号許可状が天正二年(一五七四)に下されており(寺蔵文書)、同五年には京都聖護(しようご)院門跡から岩付(いわつき)以下寄西(きさい)一六郷半の伊勢・熊野参詣先達職と年行事職が安堵されている(同年四月二八日「聖護院門跡御教書写」同文書)。この頃には当山派修験とも関係があったようである。なおこの御教書の宛先は護摩堂であり、天正一九年一一月日の徳川家康朱印状写(同文書)の宛先も護摩堂となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by