日本歴史地名大系 「大胡町」の解説 大胡町おおごまち 群馬県:勢多郡大胡町面積:一九・七一平方キロ勢多郡のほぼ中央、赤城山の南麓に位置する。東は粕川(かすかわ)村、南と西は前橋市、北は宮城(みやぎ)村・富士見(ふじみ)村。町の中央を南北に荒砥(あらと)川が貫流。当地は荒砥川の谷口集落で、道路は伊勢崎、前橋、駒形(こまがた)(前橋市)、米野(こめの)(富士見村)、三夜沢(みよさわ)赤城神社(宮城村)、室沢(むろさわ)(粕川村)、大間々(おおまま)(山田郡大間々町)、産泰(さんたい)神社(前橋市)へと放射状に出ている。北部は赤城山麓に連なり、最北の鶉(うずら)山が標高六四〇メートルで、南端が一四五メートルの落差がある。 大胡町おおごまち 群馬県:勢多郡大胡町大胡町[現在地名]大胡町大胡大胡領内の中心的市街地を大胡町とよんだが、その商業地が宮関(みやぜき)村なのでしだいに宮関村のことをさすようになった。近世初期までは大胡城の城下町として、その後は宿場町・在郷町として賑った。「赤城神社年代記」の天正一二年(一五八四)七月二七日の項に「湯沢川大水、大胡町城下ニテ人馬二百余人流失」とある。同一八年の徳川家康の関東入国より前に大胡町と称し、城下町が大きく発展していたことがうかがわれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by