武井遺跡(読み)たけいいせき

日本歴史地名大系 「武井遺跡」の解説

武井遺跡
たけいいせき

[現在地名]新里村武井 内出東

赤城山南麓の凝灰岩基盤にもつ残丘上に所在。標高約一六〇メートル。昭和二九年(一九五四)に調査され、関東ローム層中から上・下二層の先土器時代文化層が確認された。下層(武井I石器文化)では、岩宿I文化と同層準の黒色帯の頂部から二ヵ所の礫群とともにナイフ形石器四・削器二など合計四四点の石器が発見された。上層(武井II石器文化)では、尖頭器一〇九・ナイフ形石器四〇・削器八二・掻器四七・彫器七・揉錐器五など総計四千八〇三点の石器が検出された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「武井遺跡」の意味・わかりやすい解説

武井遺跡 (たけいいせき)

群馬県桐生市の旧新里村武井内出東にある先土器時代の遺跡。広大な赤城山南麓の一角を占め,岩宿遺跡とは約5kmの距離をおく。1954年に明治大学が発掘おこない,約150m2の発掘区から総数5000点近い豊富な石器,石片などを発見した。層位的に表土直下にある上部ローム層軟質部中の武井Ⅱ石器文化と,下層の黒色帯中に含まれる武井Ⅰ石器文化に区別され,武井Ⅰは総数44点で,そのうち数点のナイフ状の石器以外は特徴が不明である。それに対して武井Ⅱでは槍先形尖頭器109,ナイフ形石器40を中心に,削器,搔器,彫器,刃器など多様な器種の石器が共存し,先土器時代研究史の上で石器組成を問題として検討された最初の資料となった。武井Ⅱ石器文化の年代上の位置づけは,槍先形尖頭器などの製作技術が未発達であること,ナイフ形石器を多数伴うことなどから,槍先形尖頭器をもつ石器文化としては,古い段階に属するものと推定されている。
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