日本歴史地名大系 「勧濃村」の解説 勧濃村かんのうむら 栃木県:足利市勧濃村[現在地名]足利市宮北町(みやきたちよう)・若草町(わかくさちよう)・寿町(ことぶきちよう)・千歳町(ちとせちよう)・常盤町(ときわちよう)渡良瀬川北岸の低台地に位置し、北は助戸(すけど)村。勧農とも記す。建武四年(一三三七)二月二七日の伊賀盛光代難波本舜房着到状(飯野文書)に「下野国勧王宿」とみえ、北朝方の本舜房が着陣している。応永二九年(一四二二)九月二日には鑁阿(ばんな)寺の一四代学頭職宥俊が「勧農郷」内の田畠などを三位律師俊助に譲っている(「宥俊譲状」鑁阿寺文書)。享徳三年(一四五四)五月一日には天下安全祈祷のために同寺に足利庄の同郷番匠給・桑山給などが寄進されている(「関東公方足利成氏寄進状」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報