日本歴史地名大系 「匂坂西村」の解説 匂坂西村さぎさかにしむら 静岡県:磐田郡豊田町匂坂西村[現在地名]豊田町高見丘(たかみがおか)・東原(ひがしばら)・富里(とみさと)天竜川下流左岸に沿い、南は匂坂中之郷(さぎさかなかのごう)村。東側を寺谷(てらだに)用水が南流する。中世匂坂郷の遺称地。正保郷帳に村名がみえ、幕府領、田方二五一石余・畑方八〇石余、東光寺・正林寺・高泉庵各々寺領一石。元禄郷帳では向坂西村として高四四二石余。国立史料館本元禄郷帳・享保郷村高帳ともに旗本北条領、旧高旧領取調帳では同本郷領。「遠淡海地志」によると家数七〇余。村内は北脇(きたわき)(上)・除分(よぶん)(中)・下島(しもじま)(下)の三組より成る。東海道見付(みつけ)宿(現磐田市)の助郷役は中野戸(なかのと)村に同じ。明和二年(一七六五)・文化五年(一八〇八)・文政一一年(一八二八)に天竜川が破堤した(寺谷用水誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by