日本歴史地名大系 「北中小路村」の解説 北中小路村きたなかこうじむら 滋賀県:栗太郡栗東町北中小路村[現在地名]栗東町北中小路霊仙寺(りようせんじ)村の北、葉山(はやま)川右岸平地に立地。志那(しな)湊(現草津市)へ至る道筋であったという(栗太志)。中世後期には綣(へそ)村大宝(だいほう)神社の祭礼にかかわる綣村五郷として「北中小路」がみえ、六人衆・同盟会(烏帽子着)・どうのとうと称する年齢階梯制の惣村宮座組織が形成されていた(大宝神社文書)。近世以降もこの組織が継承されており、天保一〇年(一八三九)当村長老中が筆写した三枝草井由緒書(同文書)によれば、同井は野尻(のじり)村の池から当村へ引く用水であったが、当村長老方が同井の采配を認められており、田地二町余に分水を受ける霊仙寺村では溝の酒手として一反につき米一升を長老方に納めていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by