北久宝寺町五丁目(読み)きたきゆうほうじまちごちようめ

日本歴史地名大系 「北久宝寺町五丁目」の解説

北久宝寺町五丁目
きたきゆうほうじまちごちようめ

[現在地名]東区南久宝寺(みなみきゆうほうじ)町四丁目

南北に延びる御堂(みどう)筋の両側町。北は東側が源左衛門(げんざえもん)町、西側は南御堂(みなみみどう)(現難波別院)、南は博労(ばくろう)町で、東西に南久宝寺町(みなみきゆうほうじまち)通が通る。明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図に町名がみえるが、これ以前は源左衛門町の一部も町域に含んでいた(初発言上候帳面写)。大坂三郷南組に所属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数二四・役数三四役と七分役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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