日本歴史地名大系 「北刀根山村」の解説 北刀根山村きたとねやまむら 大阪府:豊中市北刀根山村[現在地名]豊中市刀根山元(とねやまもと)町・刀根山(とねやま)六丁目・待兼山(まちかねやま)町千里丘陵の西北突端部、柴原(しばはら)村の西にある。桜井(さくらい)谷六ヵ村の一で、天保郷帳に「桜井谷北刀根山村」とある。刀禰山とも書いた。江戸初期には刀根山村一村であったが、のち南北に分れた。集落(現中国自動車道豊中インター付近)は南刀根山集落と連続する。中世は垂水西(たるみのにし)牧桜井郷に属したとみられる。戦国期には刀根山城があり、天文(一五三二―五五)頃、稲葉伊予守がおり(豊中市史)、天正六年(一五七八)荒木村重の反乱の時は、織田信長が一一月二四日刀根山城に出向して指揮をとっている(信長公記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by