日本歴史地名大系 「石橋村」の解説
石橋村
いしばしむら
境川と
慶長古高帳に石橋とみえ高七六九石余、幕府領。ほかに八幡領三石六斗。貞享二年采地簿(臆乗鈔)には旗本小幡・本郷がみえ、両家とも寛永一〇年(一六三三)に八代郡などで加増を受けている(寛政重修諸家譜)。元禄郷帳でも同じ二家領でほかに八幡領。宝永二年(一七〇五)以降の領主の変遷は大坪村に同じ。享保九年(一七二四)の村明細帳(大須賀和夫家文書)によれば、慶長六年(一六〇一)の検地高七六九石余、ほかに新田一〇石余があり総高七七九石余。
石橋村
いしばしむら
- 埼玉県:東松山市
- 石橋村
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出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報