北原貝塚(読み)きたはらかいづか

日本歴史地名大系 「北原貝塚」の解説

北原貝塚
きたはらかいづか

[現在地名]久米島町北原

貝塚時代前期―後期の貝塚。久米島の西端部、標高約五―八メートルの海岸砂丘北端部に立地。一九六七年(昭和四二年)に発見され、七一年以降数次にわたって調査が行われた。現在は久米島空港内に位置し、空港の拡張に伴いほとんどが消滅した。伊波式土器を主体とした包含層が確認されており、貝鏃などが出土している。その上部には貝塚時代後期の包含層が形成され、くびれ平底主体の無文甕形土器、中国唐代貨幣の開元通宝一三点、後漢の五銖銭一点、青銅片、貝札五点などが出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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