大原(読み)オオハラ

デジタル大辞泉 「大原」の意味・読み・例文・類語

おおはら【大原】[地名]

京都市左京区の地名。比叡ひえいの北西麓に位置し、三千院寂光院などがある。大原女おはらめの風俗が残る。柴漬けの産地。おはら。
奈良県高市たかいち明日香あすか小原おはらのこと。藤原鎌足の生地と伝える。[歌枕]
「わが里に大雪降れり―のりにし里に降らまくはのち」〈・一〇三〉

おはら【大原】

おおはら(大原)」に同じ。

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精選版 日本国語大辞典 「大原」の意味・読み・例文・類語

おおはらおほはら【大原】

  1. [ 一 ] 島根県東部にあった郡。雲南市の東半部に相当。「出雲風土記」によれば八郷を置く。
  2. [ 二 ] 奈良県高市郡明日香村の小原(おはら)の古称。
    1. [初出の実例]「わが里に大雪降れり大原(おほはら)の古りにし里に降らまくは後」(出典:万葉集(8C後)二・一〇三)
  3. [ 三 ] 京都市左京区北部の地名。三千院、寂光院がある。平治の乱で敗れた源義朝が東国へ逃げる途中山僧に苦しめられた地。小原(おはら)
    1. [初出の実例]「院のまします御前の池 大原や小原の閑居哀にて 鍋のしはしはふすぼれる顔〈宗因〉」(出典:俳諧・歌仙そろへ(1666))
  4. [ 四 ] 千葉県東南部、太平洋に面する地名。大原港(小浜港)、海水浴場がある。

おはら【大原・小を原】

  1. おおはら(大原)[ 三 ]

おおはらおほはら【大原】

  1. 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「大原」の解説

大原
おおはら

[現在地名]左京区大原〈井出町・上野町・大長瀬町・大見町・尾越町・草生町・古知平町・小出石町・勝林院町・戸寺町・野村町・百井町・来迎院町〉

八瀬以北の高野川上流域。小原とも記す。周辺の山々に囲まれて南北に狭小な大原盆地が一小天地をなし、川沿いに若狭街道が北国へ向かう。中近世にはその地域にある八ヵ村をもって、大原郷あるいは大原八郷ともいわれた(→大原郷。明治一六年(一八八三)これに北方山間部に点在する大見おおみ尾越おこせ小出石こでし百井ももいの四村を加えて大原村となり、昭和二四年(一九四九)左京区に合した。現在「大原」を冠する一三町がある。

地名は古く、朝廷の牛馬を飼育する牧として「九暦」天徳元年(九五七)一一月一六日条に「大原牧貢鷹一連・馬四疋、又牧司清原相公貢二枚・熊皮五枚」とみえる。また「中右記」嘉保二年(一〇九五)六月二五日条に「参両院之次、付蔵人為賢、令申事、大原刀禰等為両院下部、不随行事所召炭」とあり、国役として行事所に納めるべき召炭を、大原刀禰等が院下部だからと称して拒む挙に出ていることが知られる。この頃より商工業者が神人・寄人・供御人として権門の庇護下に入る動きを示すものだが、大原は炭窯里を別名とするほどの製炭地ともなっていた。

大原は比叡山の北西麓にあたり、延暦えんりやく寺の強い影響下にあった。


大原
うふばる

[現在地名]久米島町大原おおはら北原きたはら

もと具志川ぐしちやー間切の上江洲ういーじ村内の小地名。尚元王一六年(一五七一)大島征伐に出征して軍功をあげた儀間じま村の赤嶺と山城やまぐしく(仲里間切)の宇栄比屋らが褒賞に大原の地を与えられたという(球陽)廃藩置県により禄を失った首里・那覇の旧士族二〇人は、一八八五年(明治一八年)政府から授産資金五千円余の貸付を受けて大原開墾社を設立。監督官(県属)一人、常傭人夫・囚徒の臨時傭人夫など六〇人とともに久米島に渡り、上江洲村大原および、仲村渠なかんだかり具志川ぐしちやー仲地なかち山里やんざとう西銘にしみ大田うふたの六ヵ村の西方に広がる未開荒地の開墾事業に着手した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大原」の意味・わかりやすい解説

大原(京都市)
おおはら

京都市北東部、左京区の北部にある一地区。比叡山(ひえいざん)北西麓(ろく)の山間の小盆地で、八瀬(やせ)から高野(たかの)川に沿って、京都と若狭(わかさ)を結ぶ若狭街道(現、国道367号)が古くから通じていた。歌枕(うたまくら)の「大原の里」で知られた洛北(らくほく)の静寂な山村であるが、史跡に富み、近年は四季を通じて観光客が訪れ、ことに秋の紅葉時はにぎわう。

 平安時代には炭、薪(まき)、柴(しば)などを産することで知られ、京の町にそれらを売り歩く大原女(おはらめ)も古くからみられた。藍(あい)の着物、御所染の帯、甲掛(こうがけ)と脚絆(きゃはん)などの服装をいまに伝えるが、寂光院(じゃっこういん)の建礼門院に仕えた阿波内侍(あわのないし)の姿をまねたものといわれている。三千院(さんぜんいん)は円融院(えんゆういん)とも号し、天台宗延暦寺(えんりゃくじ)の別院で、天台三門跡(さんもんぜき)寺院の一つ。本堂の往生極楽院(おうじょうごくらくいん)は1148年(久安4)の建立で、藤原期の典型的な阿弥陀堂(あみだどう)様式を示し、国の重要文化財に指定されている。堂内にも国宝の木造阿弥陀如来及両脇侍坐像(ざぞう)などがある。三千院の南に、慈覚(じかく)大師円仁が仁寿(にんじゅ)年間(851~854)に創建したという来迎院(らいごういん)があり、かつては境内に多数の諸院が存在したという。また三千院の北の勝林院は、法然房(ほうねんぼう)源空が天台の座主たちと「大原問答」をたたかわせた所といわれる。三千院と若狭街道を隔てた西には、安徳(あんとく)天皇の母后建礼門院が庵室(あんしつ)を営んだ寂光院があり、『平家物語』の「大原御幸」で知られている。大原の北の古知谷(こちだに)には、若狭街道に面して中国風の山門のみえる阿弥陀寺がある。1609年(慶長14)に弾誓上人(たんぜいしょうにん)が開創した古刹(こさつ)である。

織田武雄



大原(千葉県)
おおはら

千葉県南東部、夷隅郡(いすみぐん)にあった旧町名(大原町(まち))。現在はいすみ市の南部を占める地域。旧大原町は1899年(明治32)町制施行。1955年(昭和30)東海村、東(あずま)村、および布施(ふせ)村・浪花(なみはな)村の各一部と合併。2005年(平成17)、夷隅郡夷隅町、岬町(みさきまち)と合併して市制施行、いすみ市となる。旧町域は外房(そとぼう)海岸に位置し、JR外房線、国道128号が海岸に並行して走り、内陸へのいすみ鉄道と国道465号の起点でもある。中世に土岐(とき)氏の所領となり、江戸時代には大多喜(おおたき)藩政下に置かれた。北部の砂浜海岸では近世以来イワシの地引網漁業が行われた。1954年に大原港が完成し、イワシ、イナダなどの沖合漁業の基地となった。米作やイモ、ブタの生産も行われるが、近年、日在(ひあり)浦での観光地化が進み、日在浦海浜公園広場や椿(つばき)の里がある。大聖寺(だいしょうじ)は波切(なみきり)不動として漁民の信仰が厚く、不動堂は照願寺(しょうがんじ)の紙本著色親鸞上人(しんらんしょうにん)絵伝とともに国指定重要文化財である。ほかに、大門(おおもん)台に大日鉄仏がある。なお六斎市(ろくさいいち)の流れをくみ、3、8の日に大原八幡神社の境内で開かれる朝市は有名。

[山村順次]


大原(岡山県)
おおはら

岡山県北東部、英田郡(あいだぐん)にあった旧町名(大原町(ちょう))。現在は美作市(みまさかし)の北東部を占める地域で、兵庫県と接している。旧大原町は、1922年(大正11)町制施行。1954年(昭和29)讃甘(さのも)、大野、大吉の3村と合併。2005年(平成17)勝田(かつた)郡の勝田町、英田郡の美作、作東(さくとう)、英田の3町および東粟倉(ひがしあわくら)村と合併して市制施行、美作市となった。吉井川支流の吉野川の上流に位置し、谷底平野を標高400~600メートルの山地が囲む。中心集落の古町は因幡(いなば)往来(鳥取―姫路)の宿場町として繁栄し、現在も本陣や脇本陣のある古い町並みが残っている。智頭(ちず)急行が通じ、国道373号がここを経由して兵庫県と鳥取県を結んでいて、429号が交差する。また一帯は古代美作国英多郡大原郷(おおはらのごう)、中世の大原保(おおはらのほ)で、これが旧町名となった。旧讃甘村宮本は宮本武蔵(むさし)の生誕地といわれる。農林業が中心で、花木、葉タバコ、クリが特産であるが、養鶏も盛んである。

[由比浜省吾]


大原(岩手県)
おおはら

岩手県南部、一関市(いちのせきし)の東北部にある地区。内陸と気仙(けせん)地方を結ぶ今泉街道の宿場町として栄えた。毎年2月11日の大原水かけ祭りは奇祭として知られる。

[編集部]

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改訂新版 世界大百科事典 「大原」の意味・わかりやすい解説

大原 (おおはら)

京都市左京区北東部にあり,比叡山西麓を流れる高野川上流に位置する小盆地全体の呼称。本来は〈おはら〉といい,〈小原〉とも書いた。京都から北へ向かう若狭街道(現,国道367号線)が縦貫し,平安時代以来延暦寺にかかわる勝林院,来迎院,三千院などの名刹(めいさつ)が多く,八瀬,大原と併称された。保元・平治の乱の際の源為朝・義朝などのように,戦乱の時にここを通過することが多く,また出家・隠棲(いんせい)の地としても著名。建礼門院徳子が住んだ寂光院や三千院はいまも多くの観光客を集めている。大原はまた平安京への薪炭の供給地でもあり,京の街を売り歩く大原女(おはらめ)は,白川女,桂女などと同様に古来有名であった。明治以後は木炭を中心とした林産に加えて,柴漬も特産の一つとなった。
執筆者:


大原(千葉) (おおはら)


大原(岡山) (おおはら)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大原」の意味・わかりやすい解説

大原
おおはら

岡山県北東部,美作市北東部の旧町域。中国山地南斜面,吉井川最大の支流吉野川流域にある。 1922年町制。 1954年大吉村,大野村,讃甘 (さのも) 村の3村と合体。 2005年勝田町,東粟倉村,美作町,作東町,英田町と合体して美作市となった。中心地区の古町は近世には因幡街道の宿場町,代官所所在地として発展,吉野川沿いに古町,中町,下町の街村が成立した。付近では古くからウシの飼育が行なわれ大原牛,粟倉牛として出荷された。美濃早生大根や花卉を栽培。宮本は宮本武蔵の生誕地といわれ,屋敷跡が残る。

大原
おおはら

千葉県南東部,いすみ市南部の旧町域。太平洋岸にある。 1899年町制施行。 1955年東海村,東村の2村および布施村,浪花村 (なみはなむら) の2村の一部が合体して成立。 2005年夷隅町,町と合体して,いすみ市となる。江戸時代からイワシ漁業が行なわれ,港湾設備も完備。近年はイセエビ,サザエ,タイなどの沿岸漁業が盛ん。木原線 (1988いすみ鉄道に転換) ,房総線 (1972JR外房線に改称) 開通とともに交通,商業の一中心地として発展した。海釣り場,海水浴場としても知られ,民宿や夏季の貸家も多い。付近には小浜城址や源頼朝の挙兵の際の白旗台の史跡がある。「波切不動 (なみきりふどう) 」とも呼ばれる大聖寺 (だいしょうじ) の不動堂は国の重要文化財に指定されている。海岸部一帯は南房総国定公園に属する。

大原
おおはら

「おはら」ともいう。京都市左京区の一地区。旧村名。 1949年京都市に編入。市街地の北東方にあり,鴨川支流の高野川に沿う独立した小盆地をなす。若狭街道 (敦賀街道,国道 367号線) が南北に貫く。かつては静かな農山村で,京都へたきぎなどを売りに行く大原女で知られたが,現在は観光地としてにぎわっている。三千院寂光院がある。

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百科事典マイペディア 「大原」の意味・わかりやすい解説

大原[町]【おおはら】

岡山県北東部,英田(あいだ)郡の旧町。主集落大原は渓口集落で,藩政時代は因幡(いなば)街道の宿場町。牛(粟倉(あわくら)牛)の飼育,野菜の抑制栽培が行われ,近年は企業誘致も進む。宮本は宮本武蔵の生地。2005年3月勝田郡勝田町,英田郡美作町,作東町,英田町,東粟倉村と合併し市制,美作市となる。54.48km2。4847人(2003)。

大原[町]【おおはら】

千葉県南東部,夷隅(いすみ)郡の旧町。中心市街は外房線といすみ鉄道の分岐点で,地方商業の一中心。大原漁港は沖合漁業根拠地で,水産加工も盛ん。内陸部では米などを産する。波切不動堂(重要文化財)のある大聖寺,海水浴場があり,海岸部は南房総国定公園に属する。2005年12月,夷隅郡夷隅町,町と合併し市制,いすみ市となる。66.61km2。2万849人(2003)。

大原【おおはら】

京都市左京区,市街北郊の高野川に沿う若狭街道上の集落。本来は〈おはら〉といい小原とも書く。《平家物語》の大原御幸の地で,三千院寂光院があり,大原女(おはらめ)の風俗や紅葉の美でも知られる。
→関連項目京都[市]左京[区]

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世界大百科事典(旧版)内の大原の言及

【藪塚本町[町]】より

…扇状地は笠懸野(かさかけの)と呼ばれ,江戸時代初期に岡登(おかのぼり)用水が開削されて水田となった。中心集落の大原(おおばら)はこのときの新田集落で,足尾鉱山の銅を江戸へ運ぶ銅(あかがね)街道の宿場町でもあった。第2次大戦後,平地林の開墾が進み,現在は野菜畑として利用されている。…

【大原重徳】より

…幕末・維新期の公家。大原家4代重尹の子。京都生れ。…

※「大原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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