久米島(読み)クメジマ

デジタル大辞泉 「久米島」の意味・読み・例文・類語

くめ‐じま【久米島】

沖縄諸島の西端にある火山島。古くは球美くみともいわれ、中国との交易の中心地であった。キクザトサワヘビやクメジマボタルなど島固有の水生生物が生息する渓流一帯は、平成20年(2008)ラムサール条約に登録された。

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精選版 日本国語大辞典 「久米島」の意味・読み・例文・類語

くめ‐じま【久米島】

  1. 沖縄県、沖縄島の西方にある島。古くは中国と琉球を結ぶ要所として栄えた。久米島紬を特産とする。古名は球美、玖美。

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日本歴史地名大系 「久米島」の解説

久米島
くめじま

沖縄島の西約九四キロに位置し、面積五八・九四平方キロの高島。全島が島尻郡久米島町に所属。方音ではクミジマという。南西方向に向いた蝶が羽を広げた形状をなし、島は最高標高の宇江城ういーぐしく(三〇九・五メートル)とその尾根部を核とする北西部と、同岳から低い鞍部を挟んで阿良あーら(二八七メートル)を核とする南東部に大別される。北西部尾根の南側は、全体的にみると比較的傾斜が緩やかで、白瀬しらーし川をはじめとする幾つかの小河川が北北東から南南西に流れている。一方尾根部の北側は急斜面をなし、その麓には標高一〇〇メートル前後の海岸段丘が発達し、全体的には北東から南西に傾斜している。この段丘面下には標高数メートルの隆起サンゴ礁が帯状に分布している。南部は阿良岳を核とする一つの山体をなし、全体的に西側斜面が急斜面で、北側と東側は緩傾斜である。小河川が東流しているのみで、河川の発達はよくない。沖積低地は、北東部・東部・南西部・西部に断続的に分布し、東部および南西部の沖積低地には海岸砂丘がみられる。東岸に奥武おー(西奥武島)オーハ島(東奥武島)が隣接してある。サンゴ礁は南西側と東側にみられ、とくに東側には島尻湾を礁湖として数キロにわたって発達しており、一部細長い洲島の形成がみられる。地質的には北西部では尾根部(山地部)がおもに新第三紀鮮新世の安山岩(宇江城層)からなり、第四紀更新世の琉球石灰岩が段丘面を構成する。南部は新第三紀中新世の変質安山岩(阿良層)からなる。沖積低地は海浜起源の砂が主である。植生は尾根部や阿良岳周辺ではスダジイ群落が、尾根部南側の緩斜面地ではリュウキュウマツ群落が、そして段丘面では雑木・雑草地が卓越する。当島全域が久米島県立自然公園に指定されている。当島からは東方に慶良間けらま諸島、北方に渡名喜島・粟国島が見える。集落のほとんどは沖積低地と段丘面に立地し、段丘面と沖積低地緩斜面が利用されている。人口は東部と南西部の沖積地に集中しているが、一八八〇年(明治一三年)が四千三六〇(奥武島・オーハ島を含む)、一九〇三年七千七九六(奥武島・オーハ島を含む)、六〇年(昭和三五年)一万五千一四三、九五年(平成七年)九千七九三。二〇〇〇年の戸数三千一六六・人口九千三三二(離島関係資料)

〔考古〕

旧石器時代・貝塚時代・グスク時代の遺跡が確認されている。島の西側に広がる石灰岩台地に形成された下地原しもじばる洞窟からシカ化石とともに一万五千―二万年前とみられる乳児骨が出土している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「久米島」の意味・わかりやすい解説

久米島(町)
くめじま

沖縄県西部、島尻郡(しまじりぐん)の町。2002年(平成14)具志川(ぐしかわ)、仲里(なかざと)の2村が合併、町制施行し、久米島町となる。沖縄本島より西方100キロメートルに位置する久米島、および久米島の東端から奥武(おう)島海中道路で結ばれている奥武島、さらに400メートル東のオーハ島、久米島から北東に200キロメートル先の無人島である鳥島(硫黄(いおう)鳥島)を含む。久米島―那覇(なは)間に定期航空便、フェリーによる定期航路がある。また夏季には東京羽田空港との間に直行便が就航する。主産業は農業で、サトウキビ作が中心である。近世琉球(りゅうきゅう)では蔵元(くらもと)(役所)が置かれ、跡地には石垣が残り、旧仲里間切蔵元石牆(きゅうなかざとまぎりくらもとせきしょう)として国の重要文化財に指定されている。このほかにも上江洲(うえず)家住宅、具志川城跡などの文化財や史跡をはじめ、景勝地も多く、リゾートホテルの建設などにより観光地化が進んでいる。久米島は県立自然公園に指定される。15世紀以来の伝統をもつ久米島紬(つむぎ)を特産する。面積63.65平方キロメートル(硫黄鳥島の面積2.50平方キロメートルを含む)、人口7192(2020)。

[編集部]



久米島
くめじま

沖縄諸島の一つで、沖縄本島西方100キロメートルに位置する島。沖縄県島尻(しまじり)郡久米島町に属し、面積59.11平方キロメートル。新生代新第三紀グリーンタフ期に噴出した安山岩類が主体をなす旧期火山島で、最高標高は310メートル(宇江城(うえぐすく)岳)。島の西部には琉球(りゅうきゅう)石灰岩の広い台地をもち、水や耕地など自然条件に恵まれた島である。島のほぼ全域と周辺海域は久米島県立自然公園に指定される。島尻湾には沖縄でも珍しい堡礁(ほしょう)のサンゴ礁がある。琉球王府の時代には「球美(くみ)」ともいわれ、中国大陸との交易中継地として栄え、蔵元(くらもと)(現在は石垣が残る)も設置され、歴史的にも名高い島である。島名は「米(くみ)(米(こめ))の島」に通じ、古くから米作が盛んであったが、今日ではサトウキビを中心に、パイナップル、葉タバコが主要作物となった。また、民芸品に久米島紬(つむぎ)がある。那覇からは空・船便が毎日あり、名勝も多い観光地である。なお、久米島に関する記録としては、『続日本紀(しょくにほんぎ)』和銅(わどう)7年(714)12月5日条に「信覚(しがき)及球美等島人五十二人」とあるのが最初である。人口8756(2009)。

[目崎茂和]

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改訂新版 世界大百科事典 「久米島」の意味・わかりやすい解説

久米島[町] (くめじま)

沖縄県島尻(しまじり)郡の町。沖縄島(本島)の那覇市の西約100kmにある久米島にある。2002年4月具志川(ぐしかわ)村と仲里(なかざと)村が合体して成立した。人口8519(2010)。

久米島町北西部の旧村。島尻郡所属。久米島の西部を占める。人口4237(2000)。東側の旧仲里村と境界を接するところに約300mの山塊があり,南側には台地が発達し,西側には緩傾斜の低平地が広がっている。古くから米の生産地として知られ,河川水利にも恵まれていたが,水の乏しい丘陵地には溜池を作るなど灌漑にも努力し,水田地域を広げてきた。しかし第2次世界大戦後はサトウキビ畑に変わったところが多い。また,野菜,花卉栽培も盛んになっている。市街化している南部の鳥島地区は,1903年徳之島西方の硫黄鳥島の噴火のため,翌年にかけて全島民が移り,定住したところである。18世紀前半に建てられた上江洲(うえず)家住宅(重要文化財),15世紀後半ころの築城になる具志川城跡(史)がある。

久米島町東部の旧村。島尻郡所属。久米島の東部を占め,属島の奥武(おう)島,オーハ島を含む。人口5122(2000)。村の南と北にはそれぞれ標高約300mの山地があり,中央部の海岸に面して低地が広がる。古くから米の生産地として知られ,水に乏しい丘陵地に溜池をつくるなど灌漑にも努力し,水田を広げてきたが,現在は大部分が基幹作物のサトウキビや花卉などの栽培に転換している。肉用牛の畜産も行われる。真謝(まじや)の村落を中心に昔から久米島紬が織られている。近年,離島ブームを反映して観光地化が著しい。名所旧跡として,奥武島の畳石(安山岩の柱状節理が亀の甲のように並ぶ),蔵元跡(首里王府の政庁跡で,石垣が残る。重要文化財)などがある。
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久米島 (くめじま)

沖縄県,沖縄島(本島)那覇市の西約100kmに位置する島。島尻郡久米島町を構成し,面積59km2。地体構造的には古期琉球火山岩区に属し,沖縄諸島では数少ない火成岩を主とする島である。島の北部に大岳(231m),宇江城(うえぐすく)岳(310m)など,南東部には阿良岳(288m)などの山地があり,中央部には標高50~100mの台地が広がってともに安山岩からなるが,西部の台地は琉球石灰岩からなる。海岸には段丘地形がみられ,南西側および東側洋上にはサンゴ礁の発達が著しく,とくに東側のものは延々12kmにおよび御願干瀬(うがんびし)と呼ばれる。久米島は古くは球美(くみ)島と呼ばれ,琉球王府時代は琉球と中国を結ぶ航路の要衝であった。水利に恵まれて古くは稲作を営み,米の島と称されるほどであったが,現在ではほとんどがサトウキビ栽培に転換した。島の中心は明治から大正にかけて仲里村(現,久米島町)の儀間であったが,のち具志川村(現,同町)の仲泊に移っている。産業の中心は農業で,サトウキビを基幹作物とし,近年は熱帯果樹や花卉が栽培されている。また,肉用牛の畜産も盛ん。伝統的な久米島紬は現在でも旧仲里村の真謝(まじや)の村落を中心に織られている。近年,島の観光地化が顕著で,那覇との間に定期船と定期航空便がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「久米島」の意味・わかりやすい解説

久米島
くめじま

沖縄県沖縄島の西方約 100kmの海上に浮かぶ島。久米島町に属する。南西諸島東シナ海側寄りの火山列島の一つで,輝石安山岩からなる火山島。最高峰は宇江城岳(うえぐすくだけ。309m)。海岸にはサンゴ礁が発達し,水にも恵まれて,サトウキビ,野菜,タバコ,パイナップルなどを産する。第2次世界大戦の戦禍を免れたため,旧仲里間切蔵元石牆(きゅうなかざとまぎりくらもとせきしょう),上江洲家住宅(うえずけじゅうたく)の国指定重要文化財や国指定史跡の具志川城跡が残るほか,比屋定(ひやじょう)バンタなどの景勝地もある。兼城港(かねぐすくこう)と那覇港との間に船便があり,久米島空港と那覇空港との間には定期便が就航している。久米島県立自然公園に属する。宇江城岳付近に源を発する渓流および周辺湿地には,キクザトサワヘビなど希少野生生物が数多く生息し,2008年ラムサール条約に登録された。面積 59.11km2。人口 9137(2005)。

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百科事典マイペディア 「久米島」の意味・わかりやすい解説

久米島【くめじま】

沖縄県,沖縄諸島最西端の島。那覇(なは)市の西方約100kmにあり,火山岩を基盤とし,西部と東部に隆起サンゴ礁台地が発達。《朝鮮王朝実録》などには仇弥島・九米島などとみえ,伊敷索按司らの支配をうけ,17世紀前半に久米島紬(つむぎ)の生産が始まった。島尻郡久米島1町からなる。灌漑(かんがい)による米作,サトウキビ栽培を行う。特産の久米島紬は近年衰微。北西部の大岳から宇江城岳一帯は,固有種が多数生息する渓流や湿地が点在し,その豊かな生態系が評価されて2008年10月,ラムサール条約登録湿地となる。
→関連項目沖縄諸島クロイワゼミ南西諸島ラムサール条約

久米島[町]【くめじま】

沖縄県島尻郡の町。那覇市の西方約100km,東シナ海上の久米島に位置する。2002年島尻郡具志川村,仲里村が合併し町制。島の南部と北部には約300mの山塊がある。古くから米の産地として知られたが,現在ではサトウキビ,パイナップル栽培に転換している。具志川城跡(史跡),蔵元跡,上江洲(うえず)家住宅(重文)などがある。63.65km2。8519人(2010)。
→関連項目鳥島(沖縄)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「久米島」の解説

久米島
くめじま

沖縄本島の西約100kmにある島で,久米島町。面積約59km2。島の周囲には大珊瑚礁が発達している。「続日本紀」和銅7年(714)条に「球美(くみ)」,1462年の「李朝実録」には「仇弥島」とみえる。14~15世紀に具志川城(ぐすく),伊敷索(いしきなわ)城などに政治的支配者が出現する。15世紀後半には琉球王国に統合され,1500年の琉球王国の八重山攻略には久米島最高の神女君南風(ちんべー)が参加。近世には水田開発も盛んに行われ,紬の専売を首里王府に強制された。冊封船・進貢船の寄港地。沖縄の戦では,日本軍による22人にのぼる虐殺事件(鹿山(かやま)事件)があった。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル大辞泉プラス 「久米島」の解説

久米島

沖縄県、米島酒造株式会社が製造する泡盛。

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