日本歴史地名大系 「北地村」の解説 北地村きたじむら 高知県:土佐市北地村[現在地名]土佐市北地・福田(ふくだ)東流する波介(はげ)川の北岸、大平(おおひら)峰の南麓に位置し、東は蓮池(はすいけ)村。「土佐州郡志」は「東限高岡小坂山半、西限甲原山・古城山、南限出間・岩戸、北限久坂村馬越山半、東西四十町余南北三十町余」と記す。天正一八年(一五九〇)の北地村地検帳によると、村内には茗荷谷(みようがだに)・野老谷(ところだに)・太福良(おおふくら)・シヤウフ沢(さわ)・太和田(おおわだ)・末光谷(すえみつだに)・和田(わだ)・フタマタ・松(まつ)カ和田(わだ)・宗安谷(むねやすだに)・浦重谷(うらしげだに)・ウツヲ木谷(きだに)・六分一谷(ろくぶいちだに)・正光(まさみつ)・正光谷(まさみつだに)など一七小村があった。検地面積八〇町三反余、うち田分四七町八反余・畠分九町五反余。屋敷九七筆で一〇町三反余、荒一二町四反余。 北地村きたじむら 岡山県:邑久郡邑久町北地村[現在地名]邑久町北島(きたしま)上寺(うえでら)山(六〇メートル)の南にあり、南は長沼(ながぬま)村、西は射越(いこし)村(以上現岡山市)。正保郷帳に東北地村とあり、高九三一石余。枝村として西北地村・荷歩田(にぶた)村がある。荷歩田村は仁生田とも記し、この表記で現在も通称として残るが、元和五年(一六一九)の大賀島寺中五坊檀那割付定書(大賀島寺文書)には「仁夫田」とみえ、同寺福蔵坊の旦方に割付けられている。元禄郷帳には北地村とあり、一七世紀末までには村名替えが行われた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by