土佐市(読み)トサシ

デジタル大辞泉 「土佐市」の意味・読み・例文・類語

とさ‐し【土佐市】

土佐

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日本歴史地名大系 「土佐市」の解説

土佐市
とさし

面積:九一・五八平方キロ

高知県のほぼ中央、仁淀によど川下流右岸に位置し、東は仁淀川を隔てて吾川あがわ春野はるの町、北から西にかけて同郡伊野いの町、高岡郡日高ひだか村・佐川さかわ町、西南から南は須崎市に接し、東南隅は土佐湾に臨む。仁淀川と支流波介はげ川の形成する北部低地(高岡平野・高東平野)は国道五六号が貫通する農村地帯であるが、その東部高岡たかおかには市街地があり、古くから製紙業で知られる。東南部宇佐うさ地区は、うらうち湾の入口にあたる良港で、鰹漁は古来有名。昭和三四年(一九五九)高岡郡より分れて市制を施行する際、土佐国のほぼ中央という地理的位置などから市名を土佐市とした。

〔原始・古代〕

先史時代の遺跡は、波介川の両岸にほぼ南北方向に延びる支谷の緩傾斜面に多い。現在確認されている市域で最も古い遺跡は西鴨地の徳安にしかもじのとくやす遺跡で、二宮にのみや神社境内から縄文時代草創期の尖頭器が出土、波介の倉岡くらおかから縄文晩期の土器も出土した。弥生時代の遺跡には銅矛二本が出土した波介万法寺はげまんぽうじ遺跡と、高地性集落遺跡の用石の甫木山もちいしのほきやま遺跡がある。甫木山遺跡からは石錘が出土、仁淀川河口で網漁業を行っていたことをうかがわせる。このほかの弥生遺跡としては、倉岡遺跡や仁淀川沿岸高岡町野田のだ遺跡がある。また波介から出土したと考えられる有樋式石剣がある。古墳時代になると波介川支流の甲原かんばら川流域や、波介川下流の比較的広い平地に大規模な集落が営まれた。また肥沃な高岡平野の生産力を背景に成長したと考えられる古代豪族の墳墓が市域三ヵ所に点在し、このうち股肱谷ここだに古墳群は二基の円墳からなる。

当市域は承和八年(八四一)吾川郡から分離独立した高岡郡(続日本後紀)の東南端に位置し、「和名抄」にみえる高岡郡四郷のうち高岡郷が東北部に、三井みい郷が東南部新居にい付近に、海部あまべ郷が宇佐町から須崎市浦ノ内にかけた海辺に比定されている。高岡平野には条里制が施行されていたといわれ、高岡町付近には遺構とみられる地割もみられるが確証はない。式内社はないが、四国八十八ヵ所の札所でもある古刹清滝きよたき寺や青龍しようりゆう寺があり、波介の若一王子にやくいちおうじ宮境内からは鎌倉初期の経塚遺物と考えられる鏡が出土。なお平安末の混乱期に、平重盛の家人として源希義追討に加わった蓮池権守家綱がいたが(吾妻鏡)、当地蓮池はすいけとの関連については明らかでない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「土佐市」の意味・わかりやすい解説

土佐〔市〕
とさ

高知県中部,仁淀川下流の西岸にある市。土佐湾に臨む。1958年高岡町,宇佐町,新居村が合体して高岡町となり,1959年市制施行により土佐市となる。中心市街地の高岡は高知平野の西半,仁淀平野の中心地。土佐紙の生産で有名。農村部は地味肥沃で米作や,イグサ,野菜,花卉などの栽培が盛ん。南部と北部の山間では柑橘類が栽培され,海岸部では施設園芸が営まれる。浦ノ内湾口の宇佐港はカツオ漁の基地で,古くからかつお節の製造で知られる。北部に四国八十八ヵ所の第35番札所の清瀧寺(きよたきじ)が,横浪半島先端部に第36番札所の青龍寺(しょうりゅうじ)がある。浦ノ内湾一帯は横浪県立自然公園に指定されている。国道56号線が通る。面積 91.50km2。人口 2万5732(2020)。

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