北幾世橋村(読み)きたきよはしむら

日本歴史地名大系 「北幾世橋村」の解説

北幾世橋村
きたきよはしむら

[現在地名]浪江町北幾世橋

泉田いずみだ川下流北岸に位置し、南対岸は南幾世橋村、東は棚塩たなしお村。幾世橋村はかつては泉田村と称し、泉田氏発祥の地である。当村は寛文六年(一六六六)泉田村から北泉田村として分村した。元禄郷帳に泉田村枝郷として北泉田村があり、高九三〇石余。元禄一四年(一七〇一)前藩主相馬昌胤が当地北原きたはら御殿を造って隠居した。宝永六年(一七〇九)和歌の師である中院内大臣通茂より「跡たえしながらもあるを幾世橋いくよかわらずふり残るらん」の歌を授けられ、翌年村名を北幾世橋村と改めたという(奥相志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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