北押川村(読み)きたおしかわむら

日本歴史地名大系 「北押川村」の解説

北押川村
きたおしかわむら

[現在地名]富山市北押川

呉羽山くれはやま丘陵の南西端、境野新さかいのしん扇状地の小台地上に位置。東は杉谷すぎたに村、西は西押川村婦負郡に属する。初め西押川村と一村で押川村と称したが、江戸時代中頃に分村した。なお分村は鎮守八幡社を境にしたという。寛永一六年(一六三九)以降富山藩領。正保郷帳では押川村の高四三四石余、田方二七町四反余・畑方一町五反、新田高六七石余。元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳では高三八四石余で、同年の古田新田高村付改帳(前田家文書)に押川村の出村押川新村・吉野よしの村がみえる。享保六年(一七二一)の村付高改帳(島倉家文書)に北押川村がみえ、高三三三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 さかい 打出 幕末

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む