精選版 日本国語大辞典 「北白川宮能久親王」の意味・読み・例文・類語 きたしらかわのみや‐よしひさしんのうきたしらかはのみやよしひさシンワウ【北白川宮能久親王】 ⇒よしひさしんのう(能久親王) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北白川宮能久親王」の解説 北白川宮能久親王 きたしらかわのみや-よしひさしんのう 1847-1895 幕末-明治時代の皇族,軍人。弘化(こうか)4年2月16日生まれ。邦家親王の王子。安政5年親王となり,得度して公現と称し,慶応3年輪王寺門跡(もんぜき)をつぐ。戊辰(ぼしん)戦争の際,奥羽越列藩同盟についたため謹慎処分。のち軍事研究のためドイツに留学。明治5年北白川宮を相続。28年近衛(このえ)師団長となり,台湾支配の指揮にあたり,同地で10月28日病没。49歳。没後,陸軍大将。幼称は満宮。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例