能久親王(読み)ヨシヒサシンノウ

デジタル大辞泉 「能久親王」の意味・読み・例文・類語

よしひさ‐しんのう〔‐シンワウ〕【能久親王】

[1847~1895]皇族北白川宮第2代。伏見宮邦家親王の第9王子戊辰ぼしん戦争で幕府方につき、明治維新後は伏見宮に預けられたが、許されて北白川宮を相続日清戦争には近衛師団長として出兵台湾病死

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精選版 日本国語大辞典 「能久親王」の意味・読み・例文・類語

よしひさ‐しんのう‥シンワウ【能久親王】

  1. 北白川宮第二代。伏見宮邦家親王の第九王子。幼名満宮(みつのみや)。法名公現。慶応三年(一八六七輪王寺を継ぐ。幕府瓦解時に幕兵に擁せられ、維新後は伏見宮に預けられたが、赦免後北白川宮を相続。日清戦争には近衛師団長として出兵。戦後台湾平定の途中病没。弘化四~明治二八年(一八四七‐九五

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改訂新版 世界大百科事典 「能久親王」の意味・わかりやすい解説

能久親王 (よしひさしんのう)
生没年:1847-95(弘化4-明治28)

北白川宮第2代。伏見宮邦家親王の王子で,初め輪王寺宮門跡となり,法名を公現と称した。戊辰戦争に際し奥羽越列藩同盟に擁せられたため,戦後謹慎を命ぜられ一時親王の身分を失った。1870年(明治3)軍事研究のためドイツに留学し77年帰朝,陸軍軍職に就く。日清戦争に近衛師団長として出征,台湾鎮定に当たったが,台南に至り病のため陣没した。陸軍大将に昇任し,国葬が行われた。
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朝日日本歴史人物事典 「能久親王」の解説

能久親王

没年:明治28.10.28(1895)
生年:弘化4.2.16(1847.4.1)
幕末明治期の皇族,軍人。伏見宮邦家親王の第9子,母は鷹司政煕の娘,生母は堀内信子。青蓮院,梶井門跡を経て,安政5(1858)年10月親王宣下により能久の名を受け,得度して公現と称した。慶応3(1867)年5月輪王寺門跡を相続。鳥羽・伏見の戦ののち寛永寺で謹慎していた徳川慶喜を救解すべく,駿府城に赴いて東征大総督熾仁親王に嘆願。その後彰義隊に擁され寛永寺に立てこもったが,新政府軍の攻撃を受け会津脱走,奥羽越列藩同盟の盟主となる。明治1(1868)年9月奥州が鎮定され,謝罪状を提出。親王停止・謹慎処分となる。翌年10月赦免,伏見宮に復す。同5年北白川宮を相続。これに先立つ3年12月より兵学研究のためドイツに留学。10年に帰国したのち,陸軍中佐,少中将と昇進,同28年近衛師団長。同年3月台湾で抗日の兵が挙がり,その鎮圧に当たるなか台南にて病没。

(保延有美)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「能久親王」の解説

能久親王 よしひさしんのう

北白川宮能久親王(きたしらかわのみや-よしひさしんのう)

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367日誕生日大事典 「能久親王」の解説

能久親王 (よしひさしんのう)

生年月日:1847年2月16日
江戸時代;明治時代の皇族;陸軍軍人。中将
1895年没

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世界大百科事典(旧版)内の能久親王の言及

【台湾神宮】より

…日本統治下の台湾の台北市にあった神社。大国魂(おおくにたま),大己貴(おおなむち),少彦名(すくなびこな)の三神と北白川宮能久(よしひさ)親王をまつる。日清戦争後,台湾征討軍の指揮に当たった陸軍中将北白川宮能久親王は,1895年,台南市で病没した。…

※「能久親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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