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能久親王 ヨシヒサシンノウ

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デジタル大辞泉の解説

よしひさ‐しんのう〔‐シンワウ〕【能久親王】

[1847~1895]皇族。北白川宮第2代。伏見宮邦家親王の第9王子。戊辰(ぼしん)戦争で幕府方につき、明治維新後は伏見宮に預けられたが、許されて北白川宮を相続。日清戦争には近衛師団長として出兵。台湾で病死。

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朝日日本歴史人物事典の解説

能久親王

没年:明治28.10.28(1895)
生年:弘化4.2.16(1847.4.1)
幕末明治期の皇族,軍人。伏見宮邦家親王の第9子,母は鷹司政煕の娘,生母は堀内信子。青蓮院,梶井門跡を経て,安政5(1858)年10月親王宣下により能久の名を受け,得度して公現と称した。慶応3(1867)年5月輪王寺門跡を相続。鳥羽・伏見の戦ののち寛永寺で謹慎していた徳川慶喜を救解すべく,駿府城に赴いて東征大総督熾仁親王に嘆願。その後彰義隊に擁され寛永寺に立てこもったが,新政府軍の攻撃を受け会津に脱走,奥羽越列藩同盟の盟主となる。明治1(1868)年9月奥州が鎮定され,謝罪状を提出。親王停止・謹慎処分となる。翌年10月赦免,伏見宮に復す。同5年北白川宮を相続。これに先立つ3年12月より兵学研究のためドイツに留学。10年に帰国したのち,陸軍中佐,少中将と昇進,同28年近衛師団長。同年3月台湾で抗日の兵が挙がり,その鎮圧に当たるなか台南にて病没。

(保延有美)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

よしひさしんのう【能久親王】

1847‐95(弘化4‐明治28)
北白川宮第2代。伏見宮邦家親王の王子で,初め輪王寺宮門跡となり,法名を公現と称した。戊辰戦争に際し奥羽越列藩同盟に擁せられたため,戦後謹慎を命ぜられ一時親王の身分を失った。1870年(明治3)軍事研究のためドイツに留学し77年帰朝,陸軍の軍職に就く。日清戦争に近衛師団長として出征,台湾鎮定に当たったが,台南に至り病のため陣没した。陸軍大将に昇任し,国葬が行われた。【武部 敏夫】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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大辞林 第三版の解説

よしひさしんのう【能久親王】

1847~1895) 北白川宮第二代。伏見宮邦家親王第九王子。輪王寺門跡となったが維新後還俗げんぞく。日清戦争には近衛師団長として出征。戦後、台湾守備を命じられ、出兵中病没。陸軍大将。

出典|三省堂
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世界大百科事典内の能久親王の言及

【台湾神宮】より

…日本統治下の台湾の台北市にあった神社。大国魂(おおくにたま),大己貴(おおなむち),少彦名(すくなびこな)の三神と北白川宮能久(よしひさ)親王をまつる。日清戦争後,台湾征討軍の指揮に当たった陸軍中将北白川宮能久親王は,1895年,台南市で病没した。…

※「能久親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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