北船路村(読み)きたふなじむら

日本歴史地名大系 「北船路村」の解説

北船路村
きたふなじむら

[現在地名]志賀町八屋戸はちやど

南船路村の北にあり、北は守山もりやま村。もと船路村のうち。寛永石高帳に高二四五石余、ほかに一石余、銀一八匁余とあり幕府領。慶安高辻帳では田方一九二石余・畑方四二石余・永荒一五石余、ほかに小物成米三石余、銀一八匁余。元禄郷帳では高二五〇石余、旗本小坂領。延宝四年(一六七六)和邇わに三浜・南船路村との間で「かい坂山」をめぐって争論があり、当村が勝訴している(北船路共有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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