北蓮蔵(読み)キタ レンゾウ

20世紀日本人名事典 「北蓮蔵」の解説

北 蓮蔵
キタ レンゾウ

明治〜昭和期の洋画家



生年
明治9年(1876年)

没年
昭和24(1949)年12月21日

出生地
岐阜市

学歴〔年〕
東京美術学校西洋画科〔明治31年〕卒

経歴
山本芳翠画塾黒田清輝らの天真道場に学んだ後、東京美術学校に入り明治31年卒業して白馬会展に「魚売り」「遺児」などを発表。43年帝国劇場背景主任を委嘱され、洋画の背景画家第1号となり、大正3年まで従事国会議事堂の歴代議長肖像画を担当、代表作に「岩倉具視公病床行幸図」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北蓮蔵」の解説

北蓮蔵 きた-れんぞう

1876-1949 明治-昭和時代の洋画家。
明治9年生まれ。同郷の山本芳翠(ほうすい)にまなび,黒田清輝(せいき),久米(くめ)桂一郎の天真道場をへて,東京美術学校(現東京芸大)を卒業。帝国劇場背景部主任となり背景画に洋画を導入,国会議事堂の歴代議長肖像画もかいた。昭和24年12月21日死去。74歳。岐阜県出身。作品に「岩倉具視(ともみ)公病床行幸図」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の北蓮蔵の言及

【明治・大正時代美術】より

…黒田は美術学校と白馬会に拠って,藤島,岡田をはじめ,和田英作(1874‐1959),湯浅一郎(1868‐1931),白滝幾之助(1873‐1959),長原孝太郎(止水。1864‐1930),中沢弘光(1874‐1964),北蓮蔵(きたれんぞう)(1876‐1949),小林万吾(1870‐1947)ら,明治後期の洋画壇を築いた多くの新人を育てた。これらの中では,《天平の面影》(1902)や《蝶》(1904)を描いた藤島武二と,彼の影響を受けて《海の幸》(1904)や《わだつみのいろこの宮》(1907)のように詩情豊かな浪漫的な作風をうち出した青木繁が傑出している。…

※「北蓮蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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