北藤掛村(読み)きたふじかけむら

日本歴史地名大系 「北藤掛村」の解説

北藤掛村
きたふじかけむら

[現在地名]笠松町田代でんだい

田代村の東、木曾川沿いに位置。中世は藤掛庄といい、近世初期には南・北両村があったが、天正一四年(一五八六)の木曾川筋氾濫で南藤掛村は消滅、北藤掛村の大半も川底となったという。建久二年(一一九一)一〇月日の長講堂所領注文(島田文書)に藤懸庄がみえ、元三用御簾二間を負担することになっているが、この時点では勤仕していなかった。応永一四年(一四〇七)三月日の長講堂領目録(八代恒治氏所蔵文書)には藤掛庄とあり、年貢糸二〇両を負担と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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