日本歴史地名大系 「笠松町」の解説 笠松町かさまつちよう 岐阜県:羽島郡笠松町面積:一〇・三七平方キロ郡の中央部、木曾川北岸沿いに帯状に延びる町。北は岐南(ぎなん)町と岐阜市、東は各務原(かかみがはら)市、南は木曾川を挟んで川島(かわしま)町と愛知県一宮市・葉栗(はぐり)郡木曾川町、西は柳津(やないづ)町。天正一四年(一五八六)の木曾川筋氾濫以前は境(さかい)川が同川本流で、左岸の当地域は尾張国葉栗郡に属していた。同年以降木曾川が現流路に固定されると、それにともない美濃国に編入され、羽栗(はぐり)郡となった。中世には上門間(かみかどま)庄・松枝(まつえだ)庄・藤掛(ふじかけ)庄などに含まれた。戦国期円城寺(えんじようじ)に一向宗専福(せんぷく)寺があり、寺内では六斎市が開かれていた。市は専福寺の移転とともに廃されたらしいが、代わって円城寺河岸が賑った。一方元和三年(一六一七)、本巣(もとす)郡真桑(まくわ)村(現真正町)から幕府へ献上する真桑瓜、岐阜町から献上する鮎鮨の継送りのため笠松宿に人馬問屋が置かれ、寛文二年(一六六二)には美濃国内の幕府領を管理する笠松陣屋(代官所)が移設された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「笠松町」の意味・わかりやすい解説 笠松〔町〕かさまつ 岐阜県南部,濃尾平野の北部にあり,木曾川に沿う町。 1889年町制。 1950年松枝村を編入。 55年下羽栗村と合体。木曾川が扇状地を形成して西流し,流路を南に変えて川幅を広げる位置にあり,古来重要な河港として繁栄。寛文2 (1662) 年以来,美濃の江戸幕府直轄地となる。代官所 (郡代陣屋) がおかれ,管轄の石高は近隣の大垣藩より多く 10万石をこえた。明治維新後,笠松裁判所,笠松県庁が設置され,1873年県庁が岐阜に移転されるまでの地方行政の中心地。美濃縞の原産地で,現在は毛織,混織などの織布生産の機業地。名所に四季の里がある。名古屋鉄道名古屋本線が通る。面積 10.30km2。人口 2万2208(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by