羽島郡(読み)はしまぐん

日本歴史地名大系 「羽島郡」の解説

羽島郡
はしまぐん

面積:三四・〇八平方キロ
柳津やないづ町・笠松かさまつ町・岐南ぎなん町・川島かわしま

県南部に位置し、北から西は各務原かかみがはら市・岐阜市、東から南の大部分は木曾川を挟んで愛知県、一部は羽島市に接する。天正一四年(一五八六)以前は現在のさかい川が木曾川本流路で、その左岸にあたる当地域(柳津町の一部を除く)は尾張国葉栗はぐり郡に属していた。同年以降、木曾川がほぼ現流路に固定されるとともに、その左岸地域は美濃国に編入され、羽栗はぐり郡となり、同じ事情でできた中島なかしま郡と明治三〇年(一八九七)合併して羽島郡が成立した。成立時の羽島郡は現在の羽島郡の大部分のほか、現羽島市全域と各務原市の南西部、ほぼ羽島用水路以南の地を含む。

当地には木曾川筋の氾濫、流路の移動などにより池沼や自然堤(微高地)が残り、こうした地形を利用した稲作や畑作が盛んであった。とりわけ砂入の多い田畑では桑の栽培が多く、養蚕業が栄えた。生糸の生産や絹織物の県下有数の産地となり、今日の機業地の基をつくった。また木曾川本流・支流や池沼での漁業も営まれ、明治から大正にかけてかなりの漁獲量を誇った。木曾川沿いの村では舟運による商業活動も盛んで、江戸時代から近代前期にかけては、笠松に幕府領代官所(陣屋)や岐阜県庁・郡役所が置かれたこともあり、政治・経済の中心地として、西南濃地域の重要な拠点であった。

〔原始・古代〕

笠松町の藤掛中洲ふじかけなかす遺跡(木曾川河床)から縄文・弥生時代の土器が多数出土したほかは、遺跡は確認されていない。他所においても若干の遺物が採集されているが、洪水により流されてきたものと考えられている。古墳もなく、奈良時代の遺跡も笠松町田代でんだいから白鳳後半期の東流ひがしながれ廃寺が発見されているにすぎない。なお、もとの厚見あつみ郡域ではあるが、柳津町高桑たかくわからは奈良時代の竪穴住居跡が発見され、鉄製農具や土師器などが出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報