北郡山村(読み)きたこおりやまむら

日本歴史地名大系 「北郡山村」の解説

北郡山村
きたこおりやまむら

[現在地名]矢巾町北郡山

間野々あいのの村の西に位置し、南は中島なかじま(現紫波町)、西は白沢しらさわ村。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に村名がみえ、高四六三石余、七ヵ年平均の免三ツ六分二厘二毛。「邦内郷村志」では蔵分二四二石余・新御屋敷領一五〇石・給分三五八石余、家数五〇、馬七二。享和三年(一八〇三)の仮名付帳によれば、家数四七、枝村の谷地中やちなか一〇・西郷さいごう一〇・猪去いさり五・といくち一六・糠屋敷ぬかやしき六、ほか「邦内郷村志」は南田みなみだ浅石あさいし道煎どうぜん竹之屋敷たけのやしき泉屋敷いずみやしきを記載。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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