北金丸村(読み)きたかねまるむら

日本歴史地名大系 「北金丸村」の解説

北金丸村
きたかねまるむら

[現在地名]大田原市北金丸

東は南東流するあいノ川・湯坂ゆざか川沿いの平坦地に位置し、西方丘陵との間に集落がある。北は長倉ながくら村、南は南金丸村。南北にたつ街道が通る。天正一八年(一五九〇)大関氏が豊臣秀吉から安堵された本領のうちに「北金丸」二九三石五斗とある(「黒羽藩領知高書上」宇都宮大学附属図書館蔵)。以後黒羽藩領。寛文年中(一六六一―七三)の惣給人知行高ならびに所付帳(同館蔵)によれば、鹿子畑左内六二石余・興野権右衛門一四九石余・井上十郎右衛門四五石余の給地があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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