こ‐まち【古町】
- 〘 名詞 〙 古くからある町。昔ながらの町。こちょう。
- [初出の実例]「やかまし言やんな。やんな、古(コ)町じゃはいの人が立はいの」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油屋)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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古町
ふるまち
[現在地名]長崎市古町
今博多町の西、中島川右岸にある長崎外町の一ヵ町で、陸手に属した。町並はほぼ南北に形成され、本紙屋町間に古町橋が架かる(享和二年長崎絵図など)。古くは寄合町と称し、当地から北東の今博多町・大井手町などにかけての一帯は当初遊女町として開かれていたが、寛永一九年(一六四二、同一六年とも)丸山に移ったため当地は古町と称したという。同二〇年をはじめ古町衆が伊勢参宮に赴いている(「御参宮人抜書」橋村家文書)。
古町
ふるまち
[現在地名]長門町大字古町
長窪村のうち大門道と大内道とが交差する付近の、依田川西岸沿いの集落。江戸初期の長窪村の本郷にあたる地で、慶長年間(一五九六―一六一五)に中山道が整備され、新たに長窪宿(長窪新町)が新設されると、それと区別するため長窪古町とよんだ。寛永七年(一六三〇)長窪新町が分村すると長窪村は古町と称した。寛永七年の家敷帳には北古屋一〇戸、町方(古町)六八戸。正徳五年(一七一五)の古町明細帳(長門町誌)には一五六戸。
豊受大神宮は通俗「おたや」といい、江戸期には九斗四升余の除地を与えられ、渡会の御師福島鳥羽大夫の受社であった。伊勢神宮に準じ二〇年ごとに正遷宮が行われ、昭和二八年(一九五三)まで三〇回の実施と伝えるが、明らかなのは寛政元年(一七八九)以降である。
古町
ふるまち
[現在地名]川之江市川之江町
川之江村のうち、町方の中心をなす町。金生川の旧川筋(現国道一一号)の西側を占める。享保六年(一七二一)の川之江村明細帳によれば、町の長さ三町六間。明和六年(一七六九)の「役用記」では古町上・古町下に分れている。文久三年(一八六三)の戸口は、古町上一四四軒六六二人、古町下九〇軒四一四人であった(役用記)。
元禄一四年(一七〇一)の川之江村明細帳に「御制札 御札六枚(中略)是ハ川之江村古町上町ニ御座候」「古町ニ八月廿三日より同廿八日迄市立申候、年ニよりこ屋三拾七、八軒より五拾軒まで年々不同御座候、こや賃一軒ニ付三匁宛銀百匁五拾匁程御座候」とある。
古町
ふるまち
[現在地名]諫早市本町・高城町
諫早市中の北西部に位置する。北部は本明川に臨み、洪水による被害を受けやすい地域であり、そのためか流町とも通称される。下町別当の管轄下にあり、寛政元年(一七八九)の寛政元酉巡見録には「下町之内ニ僅之小名」であると記されるが、幕末には当町別当が置かれていた(慶応寅卯年町方聞次所諸控)。文化元年(一八〇四)五月の強雨による洪水で古町の四〇人の水難者らに握り飯が供されている(諫早日記)。
古町
ふるまち
[現在地名]鹿角市十和田毛馬内 古町
毛馬内の町並東端部の武家町。正徳二年(一七一二)の毛馬内絵図に「古町」とある。柏崎館北麓にあり上級給人が居住、和井内・内藤・横田家などの屋敷跡がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の古町の言及
【江戸】より
…[江戸城]の拡充,武家地の造成とともに,日本橋,京橋,神田といった市街地が整然とした区画で整備されていった。これらの町は,寛永年間(1624‐44)までに約300町に達し,のちに古町とか草創地と呼ばれるようになった。これらの町には呉服,木綿,米,魚などを取り扱う商人とともに,鍛冶,染,大工,武具などの製作・加工に従事する職人が多かったことはいうまでもない。…
※「古町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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