朝日日本歴史人物事典 「北陸宮」の解説
北陸宮
生年:永万1(1165)
平安末・鎌倉時代前期の皇族。以仁王の子。木曾の宮。還俗の宮ともいわれる。治承3(1179)年以仁王の平家打倒計画が発覚し,剃髪して寿永1(1182)年北陸に逃げる。翌年平家一門の都落ち後,源義仲は皇位継承候補者に宮を推挙し,祖父後白河法皇に招かれる。即位はならなかったが,文治1(1185)年11月に源頼朝の計らいにより上洛する。このときにはすでに還俗,元服をしていた。建久・正治ころ(1190年代)に源姓を望むが許されず,老後は嵯峨に住む。藤原宗家の娘を妻とし,土御門上皇の皇女を養育する。前半生では常に出自の信憑性に疑いを持たれ,のちには遁世者の如く生涯を送った。<参考文献>村上学「傍系人物三人」(『説話論集』二)
(櫻井陽子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報